■モンパルナスのカフェ 私はアメリカやアジアは好きだが、基本的にヨーロッパの文化にはあまり興味を惹かれない。今回のパリ行きは「瓢箪から駒」のようなもので、ベルギー行きの途中で通るから2〜3日でも見てやろう…という、たったそれだけのことである。私はけっこう世界中を旅しているが、パリに行きたいと思ったことは一度もなかったのである。 別にフランス料理が好きなわけでもないし、シャンソンが好きなわけでもない。ムーラン・ルージュの踊り子が見たかったわけでもない。薄汚れたセーヌ川の流れを見て、ロマンチックな気分に浸りたかったわけでもない。加えて、グッチやカルティエなどのヨーロッパのブランド品やファッションには全く興味がない。事実、パリでは何もショッピングをしなかった。 この日はルーブルに行き、翌日にはギメ美術館に行ったが、パリの美術館に展示されているものの多くは、「植民地から略奪してきた世界各国の遺産」である。ヨーロッパに魅力を感じない理由は、そんな部分に対するささやかな反発もある。 しかし、パリという街に全く興味がないわけでもない。近代以降のパリというのは、世界のサブカルチャー発祥の地でもあるのだ。20世紀に入ってシュールレアリズムが生まれた地でもあり、1968年には5月革命が世界を震撼させた。
ということで、パリで行きたかった場所の1つに、モンパルナスやカルチェラタンがある。逆に言えば、別に凱旋門やシャンゼリゼ、エッフェル塔やノートルダム寺院なんて見たいとも思わなかった。実際に見ても、特に感銘を受けなかった。ブランドショップが立ち並ぶサンジェルマン・デ・プレ(SAINT-GERMAIN DES PRES)のおしゃれな街なども散歩したが、これもどうってことはない。 しかし、ソルボンヌ大学があるカルチェラタンは違う。ここは、パリ5月革命が起こった場所なのだ。 以前ちょっと触れたことがあるが、私は「想像力が権力を奪う」という言葉が好きだ。 この言葉、1969年に発刊された小さな写真集、「壁は語る」(J.ブザンソン編/竹内書店)に書かれていたもの。「壁は語る」は、1968〜1969年にパリのカルチェラタンから発生してフランス全土に拡大した「パリ5月革命」の写真集で、「想像力が権力を奪う」というフレーズは、確かパリのカルチェラタンの路上に残された落書きの文句だったと記憶している。パリ5月革命を起点に世界に拡大した異議申し立て運動の中で、一種の世界的な流行となった言葉でもある。アメリカの公民権運動やベトナム反戦闘争、日本の全共闘運動の中でも繰り返し使われた。 パリの5月革命と言えば、ダニエル・コーンバンディ、ジャック・ソヴァジョ、アラン・ジェスマルという3人の若いアジテーターの名を思い出すが、彼らはあまり著作や言葉を残していない。「想像力が権力を奪う」という落書きのフレーズが一番記憶に残っている…というところが、パリ5月革命の本質を現している…と思うのだ。 カルチェラタンを歩きながら、私は繰り返し「想像力が権力を奪う」と言う言葉を思い浮かべていた。 モンパルナスにも、いろいろと思うところがあった。モンパルナスといえば、まず思い出すのが、マン・レイの撮った「ベールを被ったモンパルナスのキキ」だ。地下鉄ラスパイユ駅(Raspail)の近くに、有名な「ホテル・イストリア」がある。ここには、そのマン・レイやモンパルナスのキキ、キスリング、エリック・サティ、マヤコフスキーなどが滞在していた。亡命中のレーニンだって、モンパルナスのカフェでコーヒーを飲んでいたそうだ。ああ、マヤコフスキーを夢中で読んだ高校時代を思い出す。 初めて訪れたパリ、地下鉄の回数券カルネを買って歩き回ったが、何度も言うように特に面白い街とは思わなかった。 でも、モンパルナスの街角にあるカフェでカフェオレを飲みながら、道行く人をボンヤリと眺め、「しっ、静かに、君のそばを葬式の行列が通ってゆく」「解剖台の上の蝙蝠傘とミシンの出会いは美しい」…などとロートレアモンの詩の一節でもつぶやいてみれば、まあはるばるパリまで来た意味もあろうかというものだ(笑) もう1つパリで印象深かったのは、たまたまネットで予約して泊まった「Hotel Du Square D'anvers」という、小さな2つ星のホテルである。英語がしゃべれないけど気のいいクロークのオネーサン、窓から見える向かいのアパートメントの他人の部屋、薄暗い階段とクラシックなエレベーター…、部屋は狭いが安くてよい雰囲気のホテルだ。そういえば、朝食付きで予約したわけではないのに朝食は無料だった。 ホテルがあったモンマルトル近辺も悪くない。サクレクール寺院の近くを除けば、モンマルトルは庶民の街だ。ホテルの周辺には安いカフェがたくさんある。地下鉄アンベール(anvers)駅からメトロ4号線に乗り換えるバルベス・ロシュシュアール(Barbes-Rochechuart)駅にかけての一帯は、スーパー「TATI」や安売り衣料品店などが立ち並び、道端でとうもろこしを焼いて売っている。 アンベール駅から逆にムーランルージュの方へ歩けば、安売りスーパーマーケットや雑貨店が並ぶ。そしてポルノショップなども多く、猥雑な雰囲気がたまらない。 日本へ帰国する日、シャルル・ド・ゴール空港へ向かうタクシーの中で、「もう一度この街に来ることがあるだろうか?」…と考えてみた。おそらく二度と訪れることはないと思うが、それでも仕事か何かで訪れる機会があれば、また違った場所を歩いてみたい。
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