■ヨーロッパについての雑感

・豊かな国、ベルギー

 今回ベルギーを旅行して、あらためて「ヨーロッパ」について考えた。先に断わっておくが、私はヨーロッパという地勢的エリアに対して、特に文化面では何の魅力も感じていない。
 ベルギーという国は、近代国家としての建国の歴史は浅いが、ある意味でヨーロッパの中心であり、ヨーロッパの象徴的な部分もある。まず第一に、EUやNATOの本部があるため、象徴的な意味ではなく実質的な意味で統合ヨーロッパの中心だ。そしてベルギーは、国土は小さいが社会的なインフラが整っており「豊かな国」だ。工業が盛んで、伝統的なマニュファクチュアも生きている。守るべき中世のキリスト教文化も、しっかりと残している。そして多言語国家だ。何から何まで、「いかにも西欧的…」な国である。
 ベルギーは建国の歴史が浅い。しかも第一次、二次世界大戦で大きなダメージを受けた。にもかかわらず、なぜこれほど豊かなのか…、フランドル地方は9世紀頃から毛織物工業で栄え、またブルージュ(ブルッヘ)を中心にハンザ同盟諸都市との交易で栄えたという歴史も大きな理由だろう。しかし、やはり現在のベルギーが繁栄している最大の理由は「植民地経営」にある。あの有名な探険家スタンレーをコンゴ川上流地域に送り込んだレオポルド2世は、「遅れてきた帝国主義列強」として、既にイギリス、フランス、ポルトガル、オランダなどが分割し尽くしていたアフリカで植民地経営に乗り出した。そのコンゴ川上流地域は予想外に資源の宝庫であり、原住民を過酷な労働で働かせながら、ゴム、象牙などを根こそぎ収奪し続けたのである。従わない原住民には手首を切り落とすなどの過酷な刑罰を科し、虐殺された原住民は数百万人にも及ぶと言われている。これが現在のベルギーを支える「莫大な資本の蓄積」を生んだ。現在のベルギーが誇るダイヤモンドもチョコレートも、しょせんは植民地経営の産物である。地方都市も含めてベルギー国内のいたる所に建つレオポルドビル2世の銅像…、これを見て現在のアフリカに住むコンゴ王国の末裔たる人々は何を想うのだろう?
 さらにベルギーは、1960年のコンゴの独立に軍事介入し、ケニアのジョモ・ケニヤッタ、ガーナのエンクルマなどと並ぶアフリカ独立運動の英雄であるルムンバの暗殺に関与し、コンゴ独立派に対するとんでもない虐殺をやってのけた国でもある。「ロマンチックな国ベルギー」という言葉で観光旅行に出かける日本人のうち、いったい何人が「ルムンバ」の名を想い浮かべるのだろうか?

・歴史的建造物の感想

 ヨーロッパにおける「歴史的建造物」や「歴史的な街並み」についても、想うことがある。確かに、ベルギーを始めとするヨーロッパ諸国には、中世の面影を色濃く残す歴史的建造物や街並み、そして都市がたくさんある。ブルージュ(ブルッヘ)のように1つの都市全体が中世の面影を残している例も多い。これらをもって、ヨーロッパに「中世の歴史ロマン」を感じる人は多い。
 しかし私は、ヨーロッパの「中世」という時代に、ほとんど何のロマンを感じない。中世のヨーロッパは、世界の中でも発展が遅れた後進地域であり、しかもカトリック教会の価値観に支配された暗黒の時代である。
 ベルギーに限らず、ヨーロッパの中世の歴史的建造物と言えば、教会や修道院を初めとするキリスト教施設か、さもなくば城など軍事的建造物が多い。私は日本で寺や城を見ても別に感動しないように、ヨーロッパで教会や城を見ても特に感銘を受けない。
 実に16世紀以前のヨーロッパは、世界の中では後進地域であった。まずは経済的に見て遅れた地域であった。例えば「ハンザ同盟」などと言っても、13〜14世紀にかけてハンザ同盟が扱った全商取引高は、同じ時代の中国(南宋)1国が扱う貿易額の1/10にも満たないとの試算がある。ハンザ同盟の都市として頂点にあった時代のブルージュ(ブルッヘ)の人口はわずか数万人であるが(当時のヨーロッパでは人口が2〜3万人もいれば大都市である)、同時代の南宋の首都である臨安府(杭州)の人口は120万人を越えている。その生産力や経済力は比較にすらならない。アジアとイスラムを中心とする世界全体の経済から見れば、当時のヨーロッパは「辺境の地」に過ぎなかった。

 さらに中世のヨーロッパは、経済的、文化的に後進地域というだけでなく、加えて野蛮で蒙昧な地域であった。これはキリスト教が大きな影響を与えている。「キリスト教文明」という言葉があるが、ヨーロッパの中世を見る限り「キリスト教」は「まともな文明」を生み出してはいない。教会の権威は「固定した単一の価値観」をもたらし、その結果、キリスト教を基盤とするもの以外に「文化の多様性」を生み出し得なかった。ヨーロッパ中に溢れる宗教建築に宗教絵画や壁画、宗教書…そんなものがまともな文化とは到底思えない。というか、多様性がまったくない。
 実際にルネッサンス以前の中世のヨーロッパの絵画を見ればよくわかる。ベルギーで見たフランドル派の絵画なんて、どれもみなモチーフは同じ。ルーベンスもファン・アイクもメムリンクも、キリストだの聖母マリアだの、似たようなモチーフの絵ばかりで、美術に詳しい人間でなければ誰が誰の作品やら見当がつかない(稀にボッシュのような毛色の変わった画家もいるし、宗教画ではない絵を描いた画家もいるが…)。別に宗教絵画にケチを付けているのではなく、作品制作の基盤となる文化が基本的に同じだということを言っているのだ。
 それに較べて、同時代の東洋やイスラムでは、ヨーロッパとは比較にならないほど多様性のある文化が生まれ、栄えた。
 文化に多様性のないヨーロッパの中世は、魅力のない世界だ。だから私は、ヨーロッパの中世の文化を過大評価はしない。

・ヨーロッパの蛮行

 こうした「暗愚なキリスト教的価値観」に加えて、中世のヨーロッパはその教会による「蛮行」の連続である。前もどこかに書いたことがあるが、史上もっとも多くの人間を殺したのは「カトリック教会」かもしれない。当時の文明国イスラムに物欲と領土欲だけで攻め込んだ十字軍については言うまでもなく、「異教徒は人間ではない」「異教徒や異端者は皆殺し」…と、ここまで徹底的にイカれた宗教も珍しい。オ○ムも真っ青である。荘厳な大聖堂にあるマリア像は血塗られている…と、思ってしまうのである。
 むろん、「蛮行」というならイスラムでも中国でもインドでも、同じように行われている。しかし、キリスト教と比較して人頭税を課すことによって異教徒に改宗を強制しなかったイスラムや、多宗教を認めた仏教、儒教などと比較すると、キリスト教…特にローマカトリックの蛮行は桁外れだ。民族対立や領土争奪を目的に蛮行を行なうのではなく、「宗教的価値観」によって平然と蛮行を行い、それを正当化したところが不愉快だ。
 さらに、現在のヨーロッパは、「世界の価値尺度となる文明」を謳い文句にしているし、キリスト教文明なるものも「良識」を謳い文句にしている点が気に入らない。
 ヨーロッパの良識やら、常識やらは、まあ歴史的に見ればいいかげんなものである。ビクトリア王朝時代のイギリスなど、国家を挙げて「海賊」を生業にしていた国である。インドを領有化し、アヘン戦争を起こし、産業革命以降の野蛮で攻撃的な政策によって近代帝国主義国家へと変貌を遂げたに過ぎない。ドイツもフランスもイタリアもオランダも、そしてベルギーもみな似たような国である。ベルギーはコンゴでルムンバを殺したが、同じアフリカでは、例えばイギリスはケニアで、フランスはアルジェリアで、同じようなことをやったのである。

 …とまあ、ヨーロッパについては、こんなことを考えていた。それゆえに、今回のヨーロッパ旅行は「ビールを飲む旅」に徹したのである。

・おまけ

 今回のヨーロッパの旅、ここ5〜6年間ほど続いている「無計画スタイル」の旅の1つであるが、格安航空券と安ホテルの利用とは言え、昔バックパッキングスタイルで貧乏旅行をしていた頃と較べると贅沢になったものだ。むろん、「ブランド品を買い漁る」とか「高級レストランで食事」とか「一流のオペラを鑑賞する」…といったことには全く興味がないので、さほどお金を遣うこともない。とは言え、クレジットカードを持ち、ツーリストクラスながらも一応はホテルに宿泊し、別にケチケチせずにビールなんぞを飲みまくるのだから、やはり贅沢な旅行である。
 もっと安宿に泊まって、ギリギリの予算で旅行する方が面白いとは思うのだが、結局は仕事がネックになっている。まず、いつものことだが、クライアントと常に連絡可能な状態が必要な状況でしか旅行できないため、「ネット接続可能なホテル」に泊まらざるを得ない。また、万一事故にでも遭って帰国のスケジュールが狂うと、仕事全体の段取りが狂う。そんなギリギリの状況で時間を捻出して旅行しているため、宿も交通機関も一定の水準を保たざるを得ないのだ。
 まあ、そのうちになんとか仕事関係の環境をもう少し楽にして、思い通りの旅をしてみたいものである。


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